羨ましがるという感情は悪くない

心の話

先日参加した湘南ワークショップの振り返り会。
そこで、みんなもっとワガママになるべきだという話があった。
私は東京に来てから、随分とわがままになったと思うし、旦那ちゃんに甘えることも増えて、かなり前より自分が出せるようになったと思う。
それでも、まだ抑えている感情があるので本当に人間というのは難儀な生き物だと思う。

私たちは自分の立場上、理性で抑えている感情がある。それ自体は秩序を守るために必要なものだからとやかくいう必要はないし、むしろそれがなくなると多分、人間としての社会は成り立たなくなってしまうと思う。
しかし行きすぎた抑圧は、メンタルへの影響を避けられない。

かつての私は、自分の感情を無視して生きていた。
本当は大丈夫じゃないけれど大丈夫なふりをしていたし、助けてほしいけれど声を上げられずにいた。

そんな時、頭に浮かんでいるのは「羨ましい」という感情だった。

私はこんなに頑張っているのに、あなたはやっていなくて羨ましい。
私は助けてと言えないのに、あなたは簡単に助けてもらえて羨ましい。
ずるい、あなたばっかり、どうして。
心は悲鳴を上げているのに、私はそれを見ることもせずに相手への羨ましい、妬ましい、という感情にすり替えてしまっていたのだ。

結果として私はメンタルを病み、あんなに頑張っていたコミュニティから外れることとなってしまった。
コミュニティのために頑張っていたはずなのに、その場所にいられなくなってしまうというなんとも悲劇的な結末だった。

上京してもこの感情との付き合い方は難しかった。

ひとりでセミナーに行ってしまう旦那ちゃん、羨ましい
地元の子が子どもを産んで幸せそうにしてる、羨ましい
生きたかったイベントに行っている子がいる、羨ましい

羨ましいと思ってはダメ、と頭で止めようとしても結局この感情を抑えることで自分は病んで行ってしまい、夜にひとりで泣くことあったし、仕事に行けなくなってしまうことも増えた。

とうとううつ病が悪化して、生きていても何も楽しくない、どうして私ばっかりこんな目にあうんだろう…そんな風に考えていたときに、ふとどうして私は羨ましいと思う感情をダメだと思っているのか、が気になった。

羨ましいと思っちゃダメ、妬ましいと思うなんて人として良くない

そんな思い込みが頭には常にあって、どうしてダメなのかなんて考えたこともなかった。
そもそも感情に、良いも悪いもないのでは?
人に嫉妬する自分は醜いから?

色々と考え抜いた先に、思い当たったのは「お姉ちゃんだから、弟や母親のために私は我慢しなくちゃいけない」という幼少期の思い込みだった。
わたしには弟が1人いて、弟は感情表現がとても豊かである。
加えて、わたしが苦手としている「甘えること」や「お願いすること」がとても自然に行えているので、いつも羨ましいと思っていた。
幼少期のわたしは、お姉ちゃんであるが故に、母親や弟に迷惑をかけまいと自分で自分を抑え込んでいたのだろう。

良い子にしていないと、母親や弟が困ってしまうから。

それに気がついたとき、私は自分の頭が急に晴れやかになったのを感じた。
羨ましいという感情は悪いものなんじゃなくて、そう感じちゃいけないと思い込んでいたかつての私が、実は一番いいたかった言葉だったのだ。

いいなーと羨ましがっても良いんだよ、と気がついてから私はとても穏やかになった。
羨ましいという感情は悪いことじゃない。
きっとそれは自分が手に入らなかったものを悪くいう「すっぱいぶどう」のようなもの。

これからもいーなーをたくさん出していこう。
羨ましい!よーし、私も頑張るぞ!

心の話

Posted by sayukana